Chokei's Okinawa Wars Column. 5



沖縄戦[一中生われら国士たるを期す]
勤労動員



       見る影もなく壊滅した一中校舎


沖縄守備隊第三十二軍が一中の校舎に陣取ってからは、
授業は一切行われず、
県内の師範学校、中学校、女学校には
一斉に勤労動員が指令された。

体格の大きい三年生以上は、
兵隊並みに飛行場建設、陣地構築に駆り出されて、
黙々と働いた。 

チョウケイたち幼い新一中生は
クラス単位で首里周辺のいろいろな場所に配置された。

首里の中央部を貫流する一本の川は、
水量は多くはないが川底が深く、
両岸は十メートルを越える崖となっている。

十二月に入ってから、
この谷間の両岸に憲兵隊の横穴壕が構築されることになり、
新一中生が動員された。

チョウケイにとっては
勝手知ったる幼い頃の縄張りのド真中である。
掘り出された土をモッコに担いで、
川底に捨てる作業も気楽なもので、
すでに各方面の陣地構築で
過酷な重労働に耐えてきたチョウケイにとっては、
もの足りないほど単調であった。

そんなある日、一時休憩のとき、
「志願で出てくる馬鹿もある。トコトンエー」と、
古参兵の歌う厭戦的な軍隊小唄を開き覚えていた
生意気な新一中生の誰かが、
つい大きな声で口に出してしまった。

聞きとがめた憲兵が、
目を吊り上げて、スッ飛んできた。
全員整列させられた。
チョウケイが四組の級長として、
「気をつけえ」と号令をかけると、
憲兵が目の前にきていきなり
チョウケイのビンタをはった。

「貴様ら、いまをどういう時期だと心得ておるのか!」。
憲兵に一喝されたチョウケイは、生れて
初めて喰らったピンクの激しさに、
一瞬目もくらむ思いがしたが、
代表として峻厳な憲兵にたしなめられたことに、
むしろそこはかとない誇りを感じて、
身を硬くするばかりであった。

そして、この一発のビンタは
稚気満々の少年チョウケイたちを、
もう少し分別のある青少年に押し上げる上での効果はあった。

帰り道、「トコトンエー」を口にした奴が
チョウケイと肩を並べながら言ったもんである。

「そうなんだよなあ。
おれたちが兵隊さんたちのお手伝いをして、
銃後の守りを固めなければならないんだ。
ダラダラしたらあかん」。

しばらくしてから、
首里の北方に広がる石嶺の平坦地に
仮設の滑走路が建設されることになった。

読谷、嘉手納、北谷など、
海岸近くにある飛行場が敵軍の手に落ちても、
内陸部の首里に一本の滑走路があれば、
九州からの援軍が飛来して、
反撃できると指令部は踏んだのだ。

しかし、千メートル近い滑走路を
数ヵ月以内に完成させなければならないとなると、大変である。

連日、モッコ担ぎが続いた。
朝鮮人らしい軍属や近くから駆り出されたらしい防衛隊員も加わって、
千人近い人たちが蟻のように動いた。

その中にあって、ただ一つ、
新一中生たちの目を見張らせたのは、
巨人の腕のようなスコップが
戦車のようなカタピラ付きいわゆる無限軌道車の上から
土を大きくえぐっては捨て、掘っては捨てる
珍しい機械の活躍ぶりであった。

これは、バックホウという土木機械で、
南方戦線から戦利品として急きょ沖縄へ回送されて
陣地作りに投入されたというもの。

敵を襲い壊滅させる武器の質と量、
自軍を安全に運搬し、
敵前で橋頭堡を築くための軍事用機械、
軍事用食料、装備、軍陣医学など
圧倒的な彼らの科学戦力の差が、
すでにガダルカナルで、フィリピンで、サイパンで実証されていながら、
そのことを知らされていない新一中生の目には、
すぺて友軍の赫々(かくかく)たる戦果の
証拠物件としか映らなかった。


大量の砲弾で地肌をさらす首里石嶺一帯、ああ!
右上に裸となった弁が嶽が見える


この石嶺原野の簡易飛行場は、
ついに完成されることなく、
飛行機の一機も離着陸することなく、
首里攻防戦を迎えることになる。

半年後、この地帯に侵攻してきた米軍戦車部隊に対して
一中および沖縄師範学校生徒からなる鉄血勤皇隊が、
爆雷を抱えて突進し、
一ヵ月にも及ぶ激しい攻防戦を展開することになるとは、
新一中生が夢想だにし得ないことであった。


〔チョウケイ少年黒潮を渡る〕
第ニ章 森の町首里「鉄の暴風前夜」より




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