Chokei's plants column





燃える太陽のような赤い大輪のアサガオが
今私の目の前で咲いている。
旅先のバンコックで偶然見つけて持ち帰り、
丹精して育てた末にようやく開花させた逸品である。

手に入れた場所はタイのパンコックだったが、
氏素性を文献で調べたら、どうも原産地はア
フリカ大陸東岸のケニア辺りらしい。
そこで、専門家による植物学的な検索が済むまでの間、
勝手にケニアアサガオと呼ぷことにした。

アフリカ原産のアサガオがどうしてバンコックの店先に
出廻るようになったのかわからないが、
同じ気候帯の地方では、特に観賞価値の高い花卉や果樹などが
交流し流通することはよくあること。
熱帯地方の市場には、
国籍不明の園芸植物が頻々と出現するものである。

バンコックのサンデーマーケット(日曜市場)は
観光客にもよく知られていて評判も悪くない。
決して清潔で上品というのでもなく、
むしろ、人混みと腐敗臭で不愉快な場所ではあるのだが、
なにせ、最もタイ人らしい感じの庶民が大勢集まって、
観光客も入り混じり、花卉や日用品の商いをする広場だから、
外国人にとって面白さは抜群である。

だが、これまでに主だった観光のスポットを見終えて、
“一丁前のタイ通”を自認する私にとって、
残された一番の見どころは、サンデーマーケットであった。


 熱帯の果実や花の並ぶマーケット


特に熱帯植物を唯一の趣味の対象とするようになってからは、
もう建造物や人物には余分な興味は湧かなくなっている。

朝早く、マーケッ卜が混雑しないうちに広場に出かけて、
搬入される農作物や花ものを物色し始める。
店頭に並ベられないうちに、
目ぼしい物を見つけてスカウトする。
このゾクゾクするような“好感戦慄”がなんともいえないのである。

私の趣味は「熱帯有用植物の沖縄への導入と普及」という
大層な肩書の分野であるが、なんのことはない、
まだ見たこともない草花や樹木の類を
収集して持ち帰るというマニアの所業に外ならない。

それでも、銃砲刀剣や覚醒剤の類を
こっそり運び入れるような無法な輩とは
一線を画しているつもりである。
また、もちろん、外国の植物を勝手に持ち出したり
移入したりすることができないことも充分承知している。

第一に、ワシントン条約によって定められた
「絶滅の恐れのある種類」は扱わない。
第二に、病気や害虫を伴った植物は御法度で、
植物検疫所をきれいにパスするようなものでなければならない。
第三に、これは素人さんには判断が難しいのだが、
持ち込んで後、
その国(地方)の生態系を乱すような厄介者は避けるべきである。
生態系を乱すような厄介者は避けるべきである。

この第三の規範について、
昔、琉球王国として
中国・アンナン・カンボジア・シヤム・ルソンと盛んに交易していた頃、
一人の外交官が国外から持ち込んだ草花が、
その後沖縄の山野に
繁殖して制御不可能な雑草と化してしまったという前例がある。

ムラサキカタパミという和名がつけられたこの可愛い草花も
最初鉢植えにして導入された頃は、
城下街の首里で富裕な士族階級によって寵愛されたようである。

ところが、土色をした米粒ほどの鱗茎が
止めどなく増えてはポロポロと地面にこぽれるしたたかさで、
またたく間に農耕地にも広がり、
今では琉球列島到るところにのさぱり放題となっている。

外国から持ち込まれて、
すっかり定着してしまったこのような種類を帰化植物というが、
そのもう一つの好ましからざる実例が
セイダカアワダチソウという暴れん坊である。

戦後、駐留米軍の貨物に付着して運ばれ、
国鉄の線路沿いに先ず繁殖し、
数年の間に全国の道路沿線を
黄色い花で彩るようになった招かれざる客である。

他の雑草を覆い尽くすほど背が高く
根元が潅木のようにたくましいので除草にはみんな辟易するし、
輝やくような黄色い花を密生させるので
目の敵にされることもなく、
日本中の空地を我物顔にはびこっているわけである。

だから、バンコックのサンデーマーケットを巡って
新顔の植物を渉猟する私の目の裏には、
いつも野生化したムラサキカタパミの可憐なしぶとさや
セイダカアワダチソウの勝ち誇ったような
無軌道ぶりが焼きついていて、
私の常識を刺激するのである。

その点、サンデーマーケットに並べられる商品の中で、
民芸品や日用雑貨などはワシントン条約には関りがなく、
沖縄の生態系にも無縁で無害である。

タイの自然風土から編み出されたような竹製品、
仏教文化を凝縮させたような木彫りの仏像、白檀の扇子など、
小柄な工芸品をとりあえず選んで買い込む。

普通ならこの位で満足して
マーケットを後にするのが観光客の流れなのだが、
私の場合、植物収集家(プラントハンター)としての
秘めた衝動が燻って、思い切りを悪くする。

「なにか珍しい花はないか。掘り出し物はないか」
という想いで、土産物の袋とカメラを手に下げて、
園芸コーナーを俳徊するのである。

その日も、マンゴーやランブータンの苗木、
すでに沖縄でも一般化しているクロトンやブーゲンビレアなど
新鮮さに欠ける通常の熱帯花卉を上撫でするように眺めて歩いていた。

が、突然、私の目は閃光を浴びたような眩ゆさで動かなくなった。
店の中ほどに無造作に置かれた鉢物の花。
一見、普通の行燈仕立てのアサガオのように見えるが、
咲いている大輪の花の色が尋常ではない。



ラッパのように広がった花冠は、燃える太陽の緋色。
ノド元に落ちる部分の内面は夕日を溶かし込む茜の色といえようか。

色彩学では番号で定義された数百の色調のどれかで表現されるだろうが、
とにかく、日本列島にかつて一度も現れなかった
であろうアサガオの色ということができる。

日本の庶民が縁日などで目にするアサガオの花の色は、
赤やピンクとはいうものの、すべて青味の混じった中間色であり、
精々真白な珍種か、
あとは花弁の形や斑入りのあるなしで変化を楽しむ程度である。

だが、なんと、目の前のアサガオは、
青の影響が全く認められない真紅、大輪の珍品。

日本のアサガオは品種改良の技術が入り過ぎて、
最近は大柄になってきた反面、
健やかさがなくなり、
どれも腺病質で薄命な感じの花となってしまっているが、
ここで見つけたこのアサガオの見事な健康美はどうだ。
バーンと張ったまんま風にもそよがない
肉厚でコンパクトなアサガオの花びらなんて見たことがない。

店の老女に質ねたら、田舎の百姓さんが、
一鉢だけ置いていったと、身振り手振りで答える。
なにはともあれ、云い値で買って、先ずは手中に納める。
「これこれこれ。これだからプラントハンターは止められない」、
と呟きながら、あらゆる角度から写真に収める。

ところが、珍種をものにした喜びと昂奮がようやく治まる頃、
俄かに植物検疫の難関が気になり出した。
アサガオであれぱイポメアの仲間で、サツマイモと同類である。
日本のサツマイモを保護するために、
アリモドキゾウムシという害虫の付着の恐れのある
アサガオ類の持ち込みは禁止されているはず。
さあ困った。

手に入れた珍種のアサガオを前にして、
怪訝な顔付きの老女に助言を頼む術もなく考えあぐねているときに、
ふとひらめいたのが、種子。
種子ならば植物検疫官の目視検査によってパスである。

「種子はないか。一粒でいい葉っぱの蔭に着いてないか」。
祈るような気持ちでまさぐる私の指先に、
かすかに触れた種子の感覚。
アサガオ特有のカサカサしたサヤを潰して見たら
丸く熟した黒い種子が三つ。

「これだあ!」と叫んで欣喜雀躍する私の周りには、
十人ぐらいの人垣ができていた。
「田舎に行けばいくらでも咲いているよ」といっているようでもあるし
「折角の花を捨てるのか」と指さす仕草の人もいる。

結局、花鉢は老女に譲り、
種子を小袋に収めてポケットに入れ、
意気揚々とサンデーマーケットを後にした。

ギラギラ照りつける太陽も臭気もホコリも気にならない。
健丈な種子一粒あれぱ、
何百と個体を増やすことは、私にとってはたやすいことである。
南国の灼熱の太陽のようなこのアサガオを先ず自宅の庭で咲かせよう。

その伸び具合、繁殖の勢いを勘案して、
沖縄の山野に無害とみれば、
知人・友人・好事家に分与することも許されよう。

その真紅のアサガオが、一九九四年の秋、
私の目の前で華麗に咲いている。
轟々と燃えるような太陽の色。
ケニアの原野で思い切りエネルギーを吸収して開花したようなアサガオ。
これからどうするか、
朝な夕な眺めながら考えているところである。


沖縄エッセイストクラブ作品集
第12集 〔爬龍船〕所収
1995年(平成7年4月1日)発行




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