Chokei's plants column



                        首里の大アカギ
                     



琉球列島の気象を報道するテレビを
視ていて気づくことの一つに、
雲の群れがいつも南西から北東の方向ヘ
流れていくという傾向がある。

中国南部やインドシナ半島辺りから台湾を越えて
琉球列島の上空を過ぎていく水蒸気の巨大な固まりを、
時間を短縮した映像の動きで視るとはっきりするのだが、
その動きを逆に辿っていったときの源が、
ベンガル湾辺りにあることが判ってくる。

ところで、このような気象の話とは別に、
その同じ雲の流れの道筋にほぽ一致して、
照葉樹林帯と呼ばれる幅広い植物分布の帯が伸びている
という事実があることにも興味が湧く。

つまり雲南、中国南部、台湾、琉球列島、
九州東岸、四国南岸ヘと続く地帯に、
つやつやした葉っぱの、
つまりこれが照葉樹という表現になるのだが、
ある種の植物群が連続して分布しているということである。

そういえば、私たちの周りにはテカテカして比較的
厚ぽったい葉の樹木が少なくない。
植物の専門家でなくても
軽く十指に余るほどの照葉樹の名を挙げることができる。

椿、楠、ホルトノキも照葉樹に含まれるが、
これらは自然林よりもむしろ庭園木、街路樹として多用され、
琉球列島よりも北の方、九州辺りでの生育が日立つようである。

亜熱帯の琉球列島には、
どちらかというと
この地を北限として繁茂している熱帯地由来の植物が多い。 

コバデイシ(モモ夕マナ)、クロキ(リュウキュウコク夕ン)、
フクギ、アカギ、ガジュマルなど、
いわゆる在来樹として認識されている照葉樹がそれであるが、
これらは琉球列島個有種というより、
むしろ東南アジアが本場で、長い年月の間に琉球まで
分布域を拡げたに過ぎないといわれている。

例えぱ、フクギなどは、どの町や村でも古くから
屋敷や集落全体の防風林として汎用されており、
樹齢百年を越える老木も珍しくないほどであるが、
このフクギの原産地は、
しかし意外にもフィリピンなのである。


     福木(フクギ)並木



          福木の葉

数百年前、琉球王国が海外貿易で栄えていた頃、
目ざとい人たちがフクギの剛直な姿に見惚れ、
一見おいしそうなその黄色い果実に興味を覚えて、
ふるさとの島々に持ち帰り植えて育てたのかも知れない。

あるいは、フィリピンの地面に落ちた果実が
腐蝕して軽い種子だけとなって川から海に流され、
八重の潮路を経て琉球に漂着し、
発芽、成長したのかも知れない。

漂着といえぱ、
照葉樹は漂流性の種子を落とす種類が少なくない。
コバデイシの種子が正にそのための構造になっていて、
熟して落ちた果実は、表皮が腐蝕する前から
すでに真水に浮かぶほど絶妙な浮揚の仕掛けを備えている。

まして、塩気の多い海水であれば、
発芽防止作用も働いて種子は
悠々と黒潮の流れに乗って島々に届けられ、
それぞれの島の海岸のどこかに開口する川から
潮の干満と海風に押されながら、
内陸部に向かって漂流していくことは
充分考えられることである。

実際、タイのバンコックやカンボジアのプノンペンなど、
琉球列島の植物分布とは縁の無さそうな異国の地で、
それまで琉球個有のものとばっかり思い込んでいたフクギ、
アカギ、コバデイシ、ソウシジュ(想思樹)など、
照葉樹の巨木や若々しい苗木を数多く発見したりすると、
なにかしらホッとする。


            想思樹の林

井の中の蛙が広い湖に出たときのような
快い感動と解放感を覚えるものである。
「ここが本場だったのだ!」という驚きは次第に柔らいでいくが、
昔、南の国々でそのような植物群に触れた琉球の先人たちが、
同時に見聞して、そして持ち帰ったであろう
東南アジアの文化の数々にも
連想が及んで、気持ちは俄然豊かになる。

泡盛、舞踊、三線、
陶器、染織物など、
南から受けたであろう強い文化の刺激をあれこれ思うとき、
同根異花の関係を植物と文化の両面に感ずるのである。

例えぱ、再びフクギだが、
その厚い樹皮を剥がして煎じる時、
琉球紅型(ビンガタ)に欠かせない鮮やかな黄色の染料がとれる。

もし、フクギが琉球に伝来してなかったとしても、
これに替る染料を先人たちは
他のいろいろな草木に見出して
巧みに使いこなしていたかも知れない。

しかし、あの紅型の随所にあしらわれている黄色、
ときにクチナシ色とも見てとれる
深味のある黄色に優る配色は望めなかったのではないか。

その外、例えばクロキの場合、
その果実は小さくて波に浮遊する仕掛けはないが、
果肉が甘くて、ヒヨドリや他の渡り鳥の好餌となつている。

その点同じく甘くて小さい果実をつける
照葉樹の一種チャーギ(リュウキュウイヌマキ)共々
古い時代に渡り鳥の腹に収められ空輸され、
島々に早々と定着したものと思われる。

そして、ここで、強調したいのは、
この両種の樹木に限らず琉球列島の照葉樹の多くが、
それぞれ琉球の文化の発達に
一方ならぬ貢献をしているということである。

クロキは、周知の通り三線の棹として独檀場を築いているし、
チャーギは琉球の木造建築物の主材として重宝されてきた。


             クロキ

スーキ(モンパノキ)が照葉樹と呼べるかどうか迷うが、
昔から漁民の水中眼鏡の素材として愛用されたし、
海岸近く自生するハスノハギリは、
くり舟の擢や垢とりなどに使われたという。
琉球の伝統文化を支えてきたこれらの植物資源は、
大量に早急に繁殖できるものではない。

今でこそ安直な代替品が出回って文化活動の底辺を浸し、
それなりの貞献貢献をしているが、
やはり在来の照葉樹に培われた
伝統文化の中軸部分を思い起こしつつ、
文化の花を咲かせるべきと考える。

強烈な太陽光線をはね返し、
塩混じりの強風にも耐えてきた
ふるさとの亜熱帯照葉樹を想うとき、
強い愛着が湧いてくるのを覚える。


沖縄エッセイストクラブ作品集
第16集〔石畳〕所収
1999年(平成11年4月1日)発行




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