Chokei's talk 長寿の邦 対談2 | ||||
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沖縄の郷土料理 吉田 尚先生は私と同じ首里高校でしたよね。 尚 一期後輩です。 吉田 今もお若いですが、 学生時代はいつも色白で、まぶしく感じて、見ておりました。 ところで、栄養学では琉球大学の教授にまでなられ、 沖縄の長寿を支える大きな分野である 食、食文化について研究なれてこられました。 人間は皆、食で支えられて生きていますから、 食というのは根源的なテーマだと思います。 また、沖縄には地域特性としての食文化というものがありますね。 そのことについてご専門でいらっしゃる尚先生に 語っていただこうというのが、対談の目的なんです。 どうぞよろしくお願いします。 もう一つのねらいは尚先生という方が これまで身に付けてこられた様々な情報、 特に、食に関するエピソードを 今まで著書や論文あるいは講義で明らかになさらなかった分、 今日はまだ公にされていない部分などをお聞きして、 県民あるいは全国の皆さんに紹介しようと。 アジクーターがまだ残っている部分を、 僭越ながら私がそれを引っ振り出していこうという試みなんです。 一つよろしくお願いします。 尚 沖縄の食事、琉球の食というのは、 文献によりますと十四世紀あたりから 形をなしていた琉球王朝の宮廷料理、 いわゆる、もてなし料理と言うのが一つと、 それとは対照的に一般庶民の日常食の二つに分けられます。 沖縄は地理的にも大変苛酷な地域に位置していますが、 長所としてとらえると温帯もここまでという南限、 そして熱帯の北限でもあるわけで、 これが亜熱帯という特異性になるのです。 従って地域特性を活かすには、 両方の特性を取り入れることが可能になるわけです。 でも、昔は台風、旱魃と大変苛酷な状況にあったと思うんです。 吉田 食以外の分野でも、気候的な特性というのは影響が大きいですね。 尚 大きいですね。特に、農作物からみると、 沖縄は隆起珊瑚礁の島なので、 穀類の生産にはあまり適していなかったということです。 米については二期作が可能で羽地ターブックァといわれる 地域もあったでしょうけれども、 島米による自給率も低く、 東北あたりのように穀類が良く育つ地域であれば 主食はお米だったと思いますけど…。 吉田 穀類と言いますと、お米の外には……豆もですか。 尚 お米とか粟とか稗とかですね。豆もそうですかね。 吉田 豊穣な島ではないですよね. 尚 そうですね、珊瑚礁の島ですから保水力が大変劣っていたのです。 雨量は年間ニ千ミリ以上ですか、 それだけ。あるのに殆ど海に流れてしまうんです。 吉田 豊葦原の瑞穂の国とは違うんだ。 唐いも(甘藷=さつまいも)の伝来 尚 そうですね。ですからどちらかというと 米だとか麦だとか粟などのような 穀物の栽培には不利であったというところから、 唐いも‥さつまいもが主食になったわけですね。 さつまいもは単位面積当りで比べて、 エネルギーを供給するという点では一番大きいんです。 しかし、さつまいもの場合は保存ということを考えますと、 米のほうがはるかにいいんです。 さつまいもを保存するとなるといろんな工夫がいるでしよう。 でも、栽培という観点からすると、 沖縄のような亜熱帯の地域ですと年中、さつまいもを栽培できる。 台風が来ても可食部分は地中ですから心配ないというように、 本当に沖縄に適していたわけです。 吉田 さつまいもの伝来は、これは沖純の食に革命を起しましたね。 尚 それ以前は歴史の書によりますと、 わずかな猟と四面海に囲まれていることから漁をしたりで、 海にも出ていってますね。 海産物と少々の農産物の時代なのです。 ですから、漁業というので周囲の沿海や東南アジアに 出ていったということがあります。 沖縄の人たちにとって海というのは、 今でこそ「どこまでも夢は広がる」と言いますが、 当時は海というのは、大変なものだったと思うんです。 吉田 むしろ海が隔たりとなって苦労した。 逆に海から来るものが、豊穣を持たらすということでもあった。 ニライカナイの信仰も育った。 尚 そうですね。 ですから漁でもって頻繁に東南アジアへ行ったのでしょう。 安南(現在のベトナム)、シャム(タイ国)まで行ったということですから、 広範囲にわたるものだったのですね。 それで泡盛ももたらされたのです。 シャム米で作ったんですよね。 庶民料理は東南アジアの影響を受けた。 吉田 野国総管という人がいて、 その人が中国から初めていもを持ってきたということですよね。 それを儀間真常が認めて普及させたということですよね。 尚 そうなんです。これは十七世紀初頭(一六〇五年)ですよね、 豚も、最初は十四世紀(一三九二年)に 中国からの帰化人が導入しているんですが、 当時は人間が食べるにも事欠く時代だったということです。 人間が食べるものさえ無いのだから、 とても豚には食べさせられない、 飼育できないということで、普及されなかったのです。 しかし、いもが入ってきてからは、 あれよあれよという間に豚が普及し、 肉食文化がスタートしたのですね。 沖縄の食の革命 いもと豚 吉田 いもの伝来した影響は大きいですね。 豚という家畜が入ってきても、その餌となるものが無い以上は、 大漁には飼育できない、 爆発的に増えて庶民の口まで届くようにはならない。 今でいえば家畜の飼料不足。 でも、いもが伝来した後は、庶民の口にも届くようになるわけですね。 いも一本の蔓の持つ意味合いは、非常に大きいということですね。 私たちも戦時中に頼りにしましたものね。 尚 はい。ところで、いもと豚の関係、 これは沖縄だけではないです。 この例は発展途上国にはいくつもあります。 吉田 大平洋沿岸に? 尚 そうですね。種類は違うでしようが、 いもがあるところに豚はいるんです。 吉田 なるほど。豚は大喰らいですからね。 その辺の雑草ではどうにもならない。 根菜類としてのタピオカとかいもとか そういうデンプン質をとらないと…。 尚 そうなんです。デンプン質を取らないと 豚は体内でタンパク質を作ることができないんです。 この豚とイモの関係は千六百年代からですね。 吉田 沖縄も他所の国みたいに、 豚といもが車の両輪のように食の大きな支えとなっていったんですね。 ところで、野国総管は海外貿易船の役人だったそうですね。 進貢船だったかな、総管とはそういう役職の名らしいですね。 それでたまたま中国でいもを見つけて、 それを「沖縄でも栽培できないか」というヒントになった。 とても大きなヒントだったわけです。 それを持って帰ると、それを儀間真常という人が見つけて、 これは、というので取り組みが始まったそうですね。 それが薩摩に目をつけられて、 その次に青木昆陽ですか、また西日本に広めるんですね。 まず豚が来て、それからいもが来る。 数百年前とはいえ今から思えぱ大きな歴史的な事件だったんですね。 尚 大きいですね。それで、いもは沖縄の地に大変適していた。 台風にも、そしてそんなに保水性が無くても 地中ではかろうじていもは生育できる。 しかしながら、虫に食われるんですね、亜熱帯だから。 今もアリモドキゾウムシというのがいるんですけど、当時から凄かった。 でも、そういう虫に食われたものでも、豚は喜んで食べたんです。 吉田 あの苦いやつヒームサーを食べますかな。 尚 よく食べますよ。シンメーナービ(大鍋)というのがありますよね。 当時は蒸し器なんてありませんから、 下に水を入れて、悪い小さいいもは下に入れるわけです。 これを支えにして上で上等のを蒸す。 蒸すというのは、結局は虫食いのいもが蒸し器のすだれ役になって それで上のものが蒸されたわけです。 吉田 こすいと言えばこすい。知恵と言えば天晴れな知恵ですね。 尚 知恵ですよ。ナベも上はカマンタ(ワラ製の蓋)ですから、 嫌な臭い、虫食いの臭いは出ちゃいます。 だから上のいもは大丈夫です。 また、下に出来た水煮のいもというのは、 汁ごとつぶしていろんな廃棄物、 たどえぱ台所の屑や流しの外に出来る野菜、 ウンチェー(エンサイ)などのいらない部分を全部混ぜて、 豚に与えるのです。豚にしては栄養満点のごちそうですよ。 豚は大事にされたのです。 吉田 「ウァー(豚)ンカイ、ムヌウサギティ(食物を上げて)、 イヤーン(お前も)、ムヌクァレー(メシ食え)」という、 田舎の狸諺があるくらい、 豚様は大事にされたんですね。 尚 とても貴重な財産だったのでしょう。 吉田 中国にもホテイアオイという水草がありますよね。 それが豚舎からの排水で育つんですが、 それをまた豚が食うそうですよ。 尚 (ホテイアオイは)繁殖が早いんですよ。 言わば、いい意味でリサイクルですよ。 あの時代だからできたのでしょうね。 吉田 昔は屋敷単位で、豚を中心に、 あるいは畑のカンダバー(イモのカズラ)を中心に 小さな物質代謝というか栄養の循環があり、 その派生的生産物を庶民は採っていた。 その淵源と循環の中心はいもだった。 尚 そうなんです。 吉田 「カンダバーの汁カディン(汁をすすっても)、 アンマートー(母親と一緒が)マシマシ」と唄にありましたが、 庶民にとっては、遥か遠い屋敷に奉公に出て、 上等の御飯食べるよりは、 カンダバーの汁とアンマーの近くにいる方がまし、 ということですが、栄養的にはいいんですよね。 尚 栄養的にはいいんです。 庶民の食べ物で特徴的なものはまずはいも。 米と比べるとエネルギーはほんのわずかいもの方が落ちるんですけれども、 ミネラル、ダイエタリーファイバー(食物繊維)も、 そして何よりビタミンCが米よりずっと多いです。 吉田 ハハアン、ビタミンCもですか? 庶民の食文化 尚 いもも含めて、 植物は皮に近い方が栄養分が多く合まれているんですよ。 (「対談 長寿の邦」第ニ章より)
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