Chokei's Okinawa Wars Column. 4



沖縄戦[一中生われら国士たるを期す]
鉄の暴風前夜、那覇空襲



             那覇空襲、昭和19年10月10日


昭和十九年十月十日。
その日は秋晴れのすがすがしい天気であった。
早朝から那覇の辺りでボンボンと
太鼓の音のような対空砲火の連続音。
頼もしい演習の銃砲音だ

と思って見上げる空には、
朝日を受けてキラキラと輝く戦闘機の群。
編隊をくずして那覇の方角に急降下していく機影。

ようやくあちこちのサイレンが空襲を告げて、
ヒステリックに鳴り渡ったとき、
那覇の街にはすでに黒煙が上がり、
港の内外に停泊していた輸送船が焔に包まれ、
爆発音を轟かせていた。

その日、チョウケイの無ニの親友宮城幸一は
小禄(現那覇)飛行場の作業に割り当てられていたため、
早朝首里の家を出た。

途中三名の級友と一緒になり、
丁度牧志(現三越前、平和通り)の街
道を小禄飛行場へ向けて歩いているとき、
突然、銀翼に輝く無数の飛行機が
頭上を越えて那覇港方面に通過するのに出会う。

耳馴れない銃撃の連続音も聞こえる。
「今日は守備軍の大演習でもあるのかな」
四名の新一中生がやや緊張しながら歩いていると、
空からはヒラヒラと細長い銀紙(電波探知機妨害用金属片)が
雪のように降ってくる中で、
街路には腕章をつけた騎馬憲兵が慌ただしく往き来して、
なにかただならぬ様相。

遠く近くに聞こえる砲声や機銃の音に、
ようやく本物の空襲であることに気付いた四名だが、
すでに那覇のド真中に来ている。

その間およそ三十分。
急に敵機の襲来が途絶えて銃声が止んだ。
「大半の敵機が我が方の高射機関砲にやられ、
生き延びた奴らは退散したのだろう」と、無敵皇軍
の強さを信じ切つている幸一たちは、
さらに勇んで小禄飛行場へと走った。

しかし、途中の那覇港は
少年たぢの健気な想いを吹き飛ばすほどの猛火に包まれて
破局を迎えていた。

延べ約二百機の米艦載機が、
次から次へと急降下して港内に停泊中の
輸送船や軍需物資集積場めがけて猛攻を
加えている最中だったのである。

抜刀した騎馬憲兵に怒鳴られて、
幸一たちは一目散に首里の坂へ逃げ帰った。
四名とも顔面蒼白、
十三歳にして初めて経験した砲爆撃の恐ろしさである。

同じ頃、チョウケイのもう一人の親友佐久原洋は、
級友と二人で崇元寺前を
西へ向かって歩いていた。
那覇港での荷役作業に参加するためである。

その頃、沖縄守備隊第三十ニ軍指令部は
那覇市安里(現国際通り入口)の蚕種試験場に設置されていて、
乗馬姿の将校、二列縦隊で着剣した兵の集団が往来する中を
重機関銃や山砲などの重火器が頻りに
出たり入ったりする慌ただしさで、
異様な雰囲気に包まれていた。

突然、首里方面の上空に無数の飛行機が現れて
急降下してくるのを佐久原が見て、
級友の肩を叩いた。



    空襲で壊滅した那覇市内何も残っていない


「おい、今日の演習は凄いぞ。
見ろ、あの屋根の上には大勢の見物人もいる!」
佐久原たちが、
なおも眩しそうに空を見上げているとき、
「おい、貴様ら、あれが友軍機か敵機か
見分けがつかんのか!」と、
後方から怒鳴る声がする。

振り返ってみると、
一中の配属将校篠原中尉殿であった。
篠原中尉殿はガダルカナルの激戦で
貫通銃創を受けて移送され
一中に配属されたパリパリの将校。

「あの金属音は間違いなく敵機だ。
あの黒い奴がグラマンで白い奴がカーチスだ。
危ないから俺についてこい」。

篠原中尉は佐久原たちニ人を抱え込むようにして、
県道の下の暗梁の中に誘導した。
中尉は、その間も、屋根の上の見物人にも
人声で注意して退避させるのだった。

一般住民も中学生も、
宿敵米軍との初めての接触であり、
戦禍の激しさがどういうものか、
まだわかってなかった。

この日以来、
米軍第五八機動部隊から発進した
艦載機延べ一千機の波状攻撃によって、
那覇から中部方面にかけての
市街地、軍事施設、港湾が消滅した。
でも、どういう訳か、首里は丸々残った。


〔チョウケイ少年黒潮を渡る〕
第ニ章 森の町首里「一中生われら国士たるを期す」より




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