Chokei's Okinawa Wars Column. 3



沖縄戦[一中生われら国士たるを期す]
牛島司令官



               戦前の首里の町並み


同じ年の夏、連合艦隊の護衛の下で、
日本陸軍の精鋭が続々と沖縄に乗り込んできた。

一中の校舎は兵舎となり、
将兵が城下町の大きな屋敷に別邸を設けるようになった。

チョウケイの家の隣にある
旧家護得久御殿(ごえくうどぅん、ウドゥンは格式の古同い王族系の屋敷)に、
沖縄守備軍司令官・牛島満中将が宿泊していることが、
一中生の噂となり、チョウケイの耳にも入った。

一中の校門からわずか百メートルの間にある屋敷で、
ヤージョウ(家門)という屋根つきの門を入ると、
ヒンプン(屏風)があり、
右手に進んで枝折り戸を入ると広い庭園に出る。
牛島司令官は褌一つとなって縁側に立つことがあった。

堂々とした体格に血色のいい温顔。
クバ扇を使いながら仁王立ちになり
沈思黙考する司令官の姿には、
武人としての凛然(りんぜん)とした厳しさも伺えたが、
ときどき見せる柔和な表情には、
そこはかとなく教養の風情も感じられた。

真紅に燃えるクロトンや仏桑華(ハイビスカス)の花の陰から、
憧れの将軍を眺める幼い少国民だったが、
しかしこの日本陸軍の英傑牛島中将が、
長々と琉球を支配し続けた薩摩の出身であり、
その日から一年もたたぬ月日の間に、
全沖縄を戦いの場にしての持久戦を構想した
張本人であるとは知る由もなかった。

将軍の乗用車はカーキ色の軍用車だったが、
後部座席がかなり高く、
当番兵がこっそり説明してくれたところによると、
南方で米軍から捕獲した戦利品ということであった。

当番兵は得意げに「将軍のはく軍靴の鋲は黄金でできている」ともらし、
靴の裏を見せてくれた。
一中生はますます司令官に敬意をつのらせるのだった。


〔チョウケイ少年黒潮を渡る〕
第ニ章 森の町首里「一中生われら国士たるを期す」より




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