Chokei's Fusato Column. 5


我は海の子 泡瀬の子





                筆者画

子供の頃、
親に連れられて病院通いをした時の記憶は、
いまもって鮮明である。  
泡瀬の国吉医院、
首里に移ってからの古波倉医院、与儀医院。

いずれも門から診察室までの距離が結構長く、
鬱蒼と繁る屋敷林、
小綺麗に刈り込んだ左右の植え込み、
歩道にはしっかりと打ち水がしてあったりして。  
子供心にもヒンヤリとして熱もやわらぎ、
ホッとして痛みも薄らぐような雰囲気である。  

「お医者さんに診てもらう」などとは、
前もって一言もいわれないから、
親の袖をむしろ引っ張るように、
親戚の女児の家を訪ねるときのように、
ウキウキと先を急いだものである。  

診察室の辺りも、また、面白い。
当時としては珍しいイボイボつきの磨りガラスの窓、
これまた珍しいガラス張りのドア、
そして、軒先に囲まれたセキセイインコの金網小舎。  

子供の好奇心を誘うばかりか、
恐らく大人にとってもすこぶる快適でチャーミングな一帯。
それが戦前のイサヌヤー(医者の家)の玄関近くの風景であった。  

ところが、すっかり魅惑されて、ドアを入り、
クレゾール臭い床を進み、
頭に丸い鏡をくっ着けたチョビ髭のおっさんに
バカていねいに引き寄せられ、
身ぐるみ剥がれる頃から様子がおかしくなり、
あっちこちひねくり回された挙句、
いきなりお尻にチクリとやられる瞬間から、
極楽は地獄と変り、チョビ髭は鬼になり、
母親は裏切者となる。  

ただ、一人、
看護婦を兼ねたエプロン姿の”鬼“の奥さんだけが、
タンナフクルー(玉那覇黒菓子)を手に握らせてくれて、
やさしく頭をなで、痛みを分かち合う仲間であり、
天使のように涙の向こう側にユラユラ見えるだけである。  

ガラスのドアを再び開けて、
母親の袖に顔を覆われながら辿る玄関前の緑蔭は、
もはや妖怪の森からの脱出路でしかなく、
くやしまぎれに噛みついた
タンナフクルーも敵なのか味方なのか、
セキセイインコでさえ裏切者の手下のように思えて、
一羽残らず憎たらしい。  

そうだ、あの緑したたる屋敷林、
夕日を受けて妖しく輝くガラス窓、
奇怪な面相の小鳥たち。
あれはみな子供を騙し込んで痛めつけるための
魔法の仕掛けなのだ。
もう騙されないぞ。
二度とイサヌヤーなんかに来てやるもんか。

ヒクヒク決心しながら、
反発を込めて振り返る病院の玄関周辺。
だが、しかし、黒砂糖の甘さと
アンチョウ(膨らし粉)の渋さと
涙の塩辛さがごちゃ混ぜになった
タンナフクルーの得も云われぬ味わいにようやく気がついて、
こんなすばらしいお菓子が貰えて、
あのチクリと尻にくる奴さえなければ、
もう一度来てやってもいいと、愛着を覚えて
少し気持が収まる頃には、
もう夕日で真赤に染まったわが家の門は、目の前である。

ともあれ、戦前のイサヌヤーの玄関周辺には、
たっぷりと雅量があった。  

感受性の高い子供、
誰にも口外できない遊びの不仕末を秘めた枠人、
もしやと底知れぬ死の深淵に脅える病人、
この世で一番やさしさと救いを必要とする人たちのために、
巧まずして構成された
独特のたたずまいが見られたものである。  

緑蔭、駄菓子、小鳥。
なんの脈絡もなさそうなこのような素材が、
イサヌヤーのおぞましさを
なに気なくしかも効果的に緩和して、
心身を患う者だけでなく、
訪れる人すべての魂に
初っ端からやすらぎを振る舞うのである。  

赤橙黄緑青藍紫、
それぞれの刺激を発する太陽光線の七色。
その中央にあって
生理的に人間の安静を最も自然に保証する植物の緑。
それをふんだんに採り入れた玄関周辺。  

病弱に対して強健、衰退には旺盛、
沈潜には飛翔を示唆し、
励ますかのように啼き交い飛び交う小鳥。  
そして、甘美な情感を引き出すためには、
一番手っ取り早い 庶民の菓子タンナフクルー。  
昔の医者は違かった、と振り返るのはこの辺である。  
人が病んだ時、心象の綾模様がどんなものか、
お見透しだったに違いない。

どのような環境を整えて、弱者を迎えなければならないか。
医学の外には、
建築学、園芸学、動物学などの
特別な研修を受けたわけでもないのに、
”医“の一字の周りに厚く人間学の素養を身につけた
円満なお医者さん。
それが戦前の典型的な医師像であった。  

近づいただけで病気になりそうな現代のイサヌヤー。
けばけばしい看板。
医術だけを取り入れ、
なにかに向けて戦うために構築されたかのように、
ペンキさえ忘れたコンクリートの壁。
生き物の気配一切感じられない玄関の内外。
対比して、
戦前のイサヌヤーのうるおいを頻りに思い出すこの頃である。




〔チョウケイ少年黒潮を渡る〕
第一章 我は海の子泡瀬の子「病院の玄関」より




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