Chokei's plants column5





                     


名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

ふるさとの 岸を離れて
なれはそも 波に幾月

(島崎藤村)


あれは今からおよそ二十年前の夏であったろうか、
連休を利用して身内の子供達と揃って
沖縄本島西海岸の浜辺に海水浴に行ったときのことである。

疲れを知らない子供達は海に入り浸りで、
これといつまでもおつき合いするわけにはいかず、
さりとてモクマオウの陰で
女どものおしゃべりに仲間入りしているのにも飽きて、
私は一人でブラブラと浜辺を散策することにした。

海風に押されて浜辺に打ち寄せる大波小波は、
沖からホンダワラやヒ卜エグサなどの
切れっ端を一つまた一つと運んできては、
波打ち際にそれらを残して砂利の間をすり抜けるように退いていく。

海草の外にも木片や田畑の雑草、
発泡スチロールのくたびれたかけら、ビニールの菓子袋など、
人間生活の落屑のような雑物が、
切れ切れの列になって波に身を委ねている。

波打ち際から数メートル離れたホカホカの砂地には、
潮位の高い時期に打ち寄せられたらしい難物が
平行して帯のように続いている。

そこにはもはや水気はなく、炎天下にすべてが
燃え上がらんぱかりに乾燥している。
なに気なくその雑物の列に沿って歩いていた私は、
奇妙な小さな物体を発見して、拾ってみた。
人工の産物ではなさそうだ。

それは、梅干のタネのような形をしていて、
指で輪を作ったときの大きさで、
表面は蓑を着たように麻色の粗い繊維で覆われている。
長い間潮に洗われ、
熱い砂の上でいく日も干されてカサカサになってはいるが、
指でつまんで振ると微かに内部に重みを感じる。
何かの種子に違いない。

その日、遊び疲れて家に着くなり
倒れ込むように畳の上に長くなった家族を尻目に、
私はコップに水道水を入れ、
これに浜から持ち帰った例の自然物を浮かべて、
水温を計ったり、年月日を書き込んだり、
ささやかに始まった実験に、むしろ心が弾むのであった。

実験には仮説が必要である。
この自然物に関する私の仮説はこうであった。

「これはある種の椰子の実である。
どこか名も知らぬ遠い島より流れ寄ったのである。
波にゆられている間に、
浸透圧の高い湖水の方へ
内部から水分が抜き取られて脱水状態となり、
半死半生のまま沖縄の浜辺に辿り着いた。
もし、今生きているうちに真水に浸してやれば、
今度は浸透圧の高い実の内部に水分が移行して、
温度が十分であれぱ、発芽するであろう」


椰子の故郷の浜辺はこんな感じ?


仮説を立てて、
例の自然物をコップの水の中に放置したまま一週間が過ぎた。
さしたる変化はないが、
思いなしか自然物の厚みが少し増している感じ。

二週間たった頃には、
体積がおよそ二倍に膨大していることがはっきりしてきた。
そして、およそ三週目頃、
一方の尖端から妻楊子のような突起物が現れているのを発見、
家族ともども雀躍したものである。発芽したのだ。

仮説は実証され、ささやかな実験は成功した。
そのまま捨てておけぱ、
いずれ完全に枯死してしまったはずの一個の生命が、
適温と真水を与えられてよみがえり、

健気に成長を始めたのである。
こうなったら早く土に戻して根を降ろさせ、
陽に当ててやらなければならない。
名も知らぬ島とはいえ、
ふるさとはやはり常夏の南の国に違いない。
日当りも風通しもいい一等地を与えよう。

家族の理解も深まり、みんなの協力によって
この遠来の客は玄関脇の柔らかい地面に植えられ、
手厚く保護され、観察されることになった。

それは、やはり椰子であった。
妻楊子のように可愛いかった新芽は、
みるみる垂直に伸びて、やがて手裏剣のように逞しくなり、
次第に剣先がほぐれてきたかと思ったら、
一ヶ月日にはもう立派な椰子らしい葉っぱを
しかも二枚拡げて見せてくれたのである。

あとはもう、まるで餓鬼のように陽光を貪り、
ひっきりなしに手裏剣を出し、
より大きな羽状複葉を拡げ、
夏が過ぎて秋から冬に移っても成長を休むことなく、
高く太くなっていった。

二十年たった今、
屋根よりも高く、怪鳥の翼のような葉を拡げて、
遠く離れたふるさとから異郷の浜辺に着くまでの
洋上の艱難辛苦などすっかり忘れ去ったかのように、
現在の仕合わせに身をふるわせ、風に舞っている。


20年後の今、屋根より遥かに高く成長…


「君は運がよかったな、沖縄の浜辺で偶然私に拾われて」
と、私が話しかけると、
この椰子は私を見降ろして答える。

「はい、私は仕合わせ者です。
あなたに拾われて生命の水を与えられ、
こうして大地に根を降ろし伸び伸びと生きていけます」

「君のふるさとについて調べてみたんだが、
もともとインドからマレーシアにかけて分布していたものが、
その美しい姿が好まれて、
今ではフィリピン、台湾にまで普及しているようだね」

「そうなんです。私自身はフィリピンの浜辺に育ったのですが、
嵐の日に母樹から離れて黒潮に流され、
まる一年以上もかかって沖縄本島に辿り着いたのです」



「名前も調べたよ、和名はビンロウジュで、
学名がAreca cathecu L.ていうんだ」

「漢字で擯榔と書いて、
台湾ではパンロウと呼ぶ人もいますね」

「そうそう、以前台湾に行ったとき、
ちょうど六十年ぶりの大暴風の直後で、
瞬間風速六十メートルの風で屋根瓦が飛び、
街路樹が薙ぎ倒されているなかで
君たちビンロウジュだけが一本も折れずに、
毅然と聳えているのを見たときはびっくりしたよ。
現地の人は、
パンロウは見かけによらず
風には一番強いといっていた」

「私たちの幹の内部は、
何千何万という丈夫な繊維が束ねられたようになっていて、
ちょうどそれはグラスファイバーでできた釣竿のように、
外力に対してしなやかに撓むことはあっても、
なかなか折れないようになっているのです」

「なるほど。君のそのスリムな体なら風の抵抗も知れているしな」

「でも広い葉の受ける風圧は相当なもんですよ」

「いよいよの場合は、葉が裂けて抵抗を減らすのだろう」

「よくご存じですね。風には逆らわない主義なんです」

「今度の実験でね。
椰子類がどうして河口の近くに繁茂しているかが
判ったような気がするよ。
君が経験したように、洋上生活で脱水状態となり浜辺に辿り着く。
波打ち際をゆられながら移動していくうちに河口に入り、
満潮時にさらに河の奥に押しやられて、淡水に浸ることになる。
そうなると一挙に発芽してそこで根を降ろし、
仲間で群落をつ<る」

「そういわれるとそうですね」

「ところで、君はいつ種子をつけてくれる?
こんなすばらしい椰子は一日も早く沖縄中に普及させたいのだが」

「まあ、待って下さいよ。
今ようやく青春を楽しんでいるところなんですから。
あと一〜二年、ね」

「こいつ。いつまでも甘えて」

ドンと私が拳で叩くと、響きは天辺に達して、
ハラハラとなにかが落ちてきた。
心地よげにこのノッポの自然物が呵々大笑しているような錯覚に、
ふと見上げると、
青々とした葉柄に覆われた頸部が青年紳士の襟首のようにみずみずしく、
白い雲を背景にしてくっきりしたシルエットを描いていた。


思いやる 八重の潮路を
いずれの日にか くにに帰らん


沖縄エッセイストクラブ作品集
第20集〔南風〕所収
1993年(平成15年)発行



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