Chokei's plants column 4





  プラントハンター達の夢を収納する 英国王立キューガーデン



象狩りとか、ビツグ‐ゲーム・ハンターとか、
動物を鉄砲で仕留める類の狩猟家をハンターと呼ぶ。
これは、前から承知していた。
しかし、プラントハンター、
つまり植物を渉猟する専門家がいるということには、
ついぞ思いも及ばなかった。

珍しい外国産熱帯植物の導入とその普及を唯一の趣味として数十年。
その趣味が昂じて、
ついに外国の山野にまで植物漁りに出かけるようになった
私のようなタイプの人間を、
いうなればプラントハンターと呼ぶのかなあ、
なんて考えていたら、
なんのなんの、百年以上も前のヨーロッパには、
職業としての植物収集家が世界中を駆け巡っていたということである。

一九世紀に入って、ヨーロッパの列強が、
世界中の陸地と海洋を奪い合い、
自国の都市に富と文化を蓄積しつつあった頃、
王候・貴族の庭園を飾るための植物素材が需要され、
人々は競って未知の土地の未知の草木を求めて旅をしたということである。

「プラントハンター」という題の翻訳書が最近出版されたばかりだが、
その本の背文字を見たときの感じも、
“ああ、オレと似たような趣味を拗(こじ)らせた奴もいるんだなぁ”
という具合に、まるで井の中の蛙が天空から落ちる雨の雫に、
“井戸水と同じだなぁ”
と思い込む塩梅の無知さ加減であった。



ところが、どうだ、この本の中身は。
およそ二百ページ全巻にわたって、
有用植物・貴重植物鑑賞用植物などを求めて
すべての大陸に展開される植物収集の専門家の活躍が描かれており、
およそ百年の間、
アジア・アフリカ・南北アメリカ大陸、
日本・東南アジアの諸島など、
人跡未踏のジャングルや危険な断崖絶壁に至るまで、
苦労に苦労を重ねて、
ただ一点「ヨーロッパにない植物の収集という目的」のために
旅を統けたプラントハンターたちのエピソードが綴られているのである。

なにを隠そう、
この私も、四半世紀も前から、
ハワイ・インド・アフリカと訪ね歩いたチャンスを活かして、
細々ながら、沖縄で栽培可能な植物を導入することに血道を上げてきたし、
もし、「プラントハンター」なる称号があるならぱ、
そのバッジぐらい胸に着けさせてもらうほど
薀蓄は十分であると自惚れていたものである。

だが、この本を読んで、
架空のバッジも目の鱗もハラリと落ちてしまりった。
くやしいけれど、ヨーロッパ人のバイタリティに脱帽である。

日本が貝になって鎖国に徹していた頃、
ヨーロッパ人は、
溢れんばかりの好奇心と合理に駆り立てられながら、
文字通り生命を賭けて植物の収集に励んでいた。

イギリスでは、王立の園芸協会(RHS)が設立され、
ヴィーチ商会という植物の収集と販売を専門とする企業も活躍し、繁盛した。


  プラントハンター達の採集成果キューガーデンの椰子群


冒険心に富んだ博物学者が、
ヴィーチ商会によって厚遇され、
アジア・アメリカ・アフリカに派遣された。

その過程で、お茶やコーヒーが産業界に導入され、
アヘン・モルヒネ類が医薬品・麻薬の世界に登場し、
様々な温帯性(同緯度のヨーロッパに向く)植物が
園芸植物として紹介され、活用されていった。

ジェット機はおろか、
プロペラ機でさえ飛んでいない時代の旅であり、
植物の運搬には難渋したことであろう。

種子であれぱ温度と湿度を低くしておけぱ、長い船旅にも耐えるが、
生の植物を高温多湿の船倉内に数十日保管することば至難のことであるし、
甲板上は潮風の脅威が大きい。

ところが、一つのアイデアによって、
ヨーロッパ園芸に大きな転機が訪れる。
イギリス(ロンドン)の一開業医ナサニエル・バグショウ・ウォードという
アマチュアの博物学者が、ふとしたことからヒントを得て、
潮風を避けて甲板上で植物を生かしたまま
運ぶための特殊な保管箱を考案した。

これが、この道で有名なウォーディアンケースと呼ぱれる
ガラス張りのミニ温室であり、
この時以来世界各地からヨーロッパへの植物導入がいよいよ活発になり、
オランダ・イギリス・フランスなどの
園芸の興隆がもたらされたということである。



Dr.N・B・ウォード(1791-1868)



 元祖ウォーディアンケース


ウォード先生、実はガラス瓶の中で青虫を飼って
観察するという偏屈な趣味に没頭していたのであるが、
瓶の中に敷いていた土の表面にシダや雑草が芽生えてくるのを見て、
密閉された瓶の中で水が蒸発し、ガラス表面で凝結し、
また土に戻って決して乾燥することがなく、
適当な温度と湿度が長期間保証され、
発芽して後は適当な光線さえあれば密閉状態でも
長年月、植物は生育するという事実を看破して、
例のウォーディアンケースを発明したのである。

今でいうテラリュウムという園芸用ガラス器具で、
なんの変哲もないものであるが、当時としては画期的な大発明であった。

日差しの強いヨーロッパでは、
室内に緑を配置するということは、大変な贅沢であり、
rus in urbe(町の中の田舎)に対する潜在的な憧れは普遍的であった。
だから、世界中の有用植物を導入するというヨーロッパの本能を満たすために
有用なウォーディアンケースは、プラントハンター達に大歓迎され、
汎用されていったのである。

時代は移り、現在、世界の至る所で、
人々が密集し、緑は著しく減少し、
動物も影を潜め、自然は大幅に後退し、
都市砂漠が広がりつつある。

薄日の射すヨーロッパで人々が本能として渇望した緑。
しかしながら、ヨーロッパ人があれほど希求した
緑豊かな熱帯・亜熱帯性の植物は、
結局、その気候上の制約の故に、
ヨーロッパでは、戸外では繁茂させることはできなかった。     

気候条件の負の制約をほとんど受けることのないわが沖縄で、
新時代のプラントハンターとしての私の立場が、
いよいよ重要になってきたのではないかと、
頻りに秘かに思い上がっているこの頃である。

沖縄エッセイストクラブ作品集
第14集〔ひんぷん〕所収
1997年(平成9年4月1日)発行




上へ          次へ      花と緑のコラムトップへ

ホームへ

            

inserted by FC2 system