choukei's plants column 2





                     

私は今、ひそかに自分だけの趣味を考案して、
朝な夕なこれを鑑賞して悦に入っている。
世の中には趣味もいろいろあるが、
私は碁とかゴルフとかは全くやらない。
マ△□とかマージャンとかは、
月にたった一回しかやらないし、
第一、相手や仲間が揃わなければ
始まらないようなのは
独立した一丁前の趣味とは認められない、
と思っている。

それに較べて私の開発した趣味は、
斬新にして格調が高く、
酌めども尽きない雅趣があって、
しかもうるさい仲間を必要としない。

そしてこれは最も大事なポイントなのだが、
小さい哲学がこの趣味には込められているのだ。実は今まで、
一人でこの哲学を深めながら
楽しもうと心に決めていたのだが、
エッセイストクラブの仲間にうっかり漏らしたばかりに、
一般に公開させられる羽目に陥ってしまった。

無趣味な人間には到底理解できるはずはないと思うのだが、
懇望黙し難いものがあり、
ここにほんの触りだけ披露することにした。 
なずけて、「小島盆景」。
またはしゃれて、「アイレット」と呼んでもらおう。



要するに珊瑚石灰岩を主材に、
それに種種の植物を自然林のように植え込んで、
水盤に置いて養生し、
あたかも琉球列島のどこかの島のような、
島嶼風景を創り出すのである。
なあんだ、ただの箱庭か、
盆栽の亜流ではないかと、早とちりしてはならない。
確かに、狭い空間に植物を配置して
手元で愛玩する点では盆栽に近いが、
植物を切ったり曲げたりは決してしないし、
珊瑚の石だけを使って土を一切用いていない点で、
日本伝来の盆栽とは画然と相違する。
また中国には古くから盆景が庶民に親しまれていて、
街の公園や民家の庭にも大小の盆景が散見される。
しかしこれとても
重力に抗してやたら岩石を積み上げるし、
土やら苔やらをふんだんに使っていて、
要するに日本の箱庭であり、
ときには広い池の中島のような大型の盆景もあって、
極めて大陸的で技巧に過ぎるきらいがある。


   この断崖の孤島はどこ?

日本の盆栽ではなく、中国の盆景でもない。
伝統的な園芸として育ち、
将来いつの日か立派な名称が定着するまで
「アイレット(小島盆景)」と仮称することにしたわけである。

琉球列島のどこかの海辺に行ってみたまえ。
渺茫と広がる大海原。
その遥かな水平線の向こうには、
ニライカナイの国があるといわれている。

記紀万葉にも現れる常世の国、
あるいは妣(はは)の国であり、
儀来河内(きらいかない)、
ニルヤ、ニレイともいわれる親国があるといわれている。

海の彼方のその楽土は豊穣であり、
穀物も火もそこから人間界にもたらされたと。
だから外来の人も文物も大事に受け入れて、
温かく持てなさなければならないと。
隣の島も、隣の村も、そして隣の屋敷も、
みなニライカナイの続きなのだと。


  こちらは珊瑚石のかわりに丸太を
    活用したオリジナル・エアプランツ  


この世界にいる神はニライの大主、
カナイの君真物(きんまもい)と呼ばれ、
島々、村々を訪ねて人々に幸を与えてくれると信じられている。

このような海の彼方をははの国とし、
そこから祝福がもたらされるとする
伝承の類型は南太平洋に浮かぶポリネシア、
ミクロネシア、インドネシアなどの島々の
原住民に伝えられる説話の中に今なお生きており、
日本神話に登場する海幸彦、山幸彦を始めとする
海洋民族伝説のルーツともなっている。

共通して言えることは
四方の海に面する島の大らかさである。
群青の海原のこちら、
白波の立つ辺りには珊瑚虫の営みによる岩礁が発達している。
波頭を越えて渡来してきた昔人のために、
その内側に波静かなイノー(礁湖)を用意して、
かれらを鷹揚に迎え入れた島。
島を背にして海辺に立っていると、
津々と心の襞に満ちてくるものを感じる。

さて、このそくそくとした想いを具象化して、
小さなフォルムに仕立てられないものか。
とつおいつ浜の石を弄びながら考えついたのが、
前述の「アイレット(小島盆景)」なのである。

以下は、その創作手順。
まず沖の岩礁から波に運ばれて
浜に寄せられた珊瑚の石を掌にのせて、眺めて、
その姿形がそれとなく小島の面影に似ているようであれば、持ち帰る。

それを様々な工作機械を使って、
島のように安定させ、絶妙な地点を選んで孔をうがち、
そこに吟味した小苗を植え込む。

琉球珊瑚石灰石は
多孔質で吸水性(従って排水性)がよく、
加工しやすく形が多様で豊富である。

浅い水盤に水を張って、その中央に島を置く。
半年後には、琉球列島に
また一つの無人島が増えたと思われるほどに、
堂々とした小島「アイレット(小島盆景)」が完成する。

この小島、そっくり自分の所有にするのもよし、
誰かに譲渡するものよし。
とにかく所有権登録の必要がなく、
島一つを丸ごと領有する気分はリッチなもので、
常時ニライカナイの想いに浸ることができるのだ。

どこに哲学があるかと訝る向きには、
次の詩句を添えるだけで充分であろう。

「ひとつとして おなじでなく
ひとつとして いいかげんでなく
ひとつひとつが ぜんたいをしゅちょうする
わしたうまりじま りゅうきゅう」

「島 もっとも弱い存在
島 もっとも純なところ
それでいて この島々は
もっともでかい可能性を秘めた
すばらしい 大地」

「島と島 大地は続く 空もまた」

あ、絶景かな! 島の形と植え込む小苗の両方を選ぶ楽しみ…

自然を大切にし、再利用する美的エコロジー趣味の極み!



沖縄エッセイストクラブ作品集
第15集〔旗頭〕所収
1998年平成10年4月1日発行



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